赤旗新聞 天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く(4)

天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く(4)

2019年6月4日赤旗新聞【特集】

 私は、事態は深刻だと考え、式典に先立つ4月22日に見解を発表し、式典開催の問題点を批判するとともに、「今回の式典のような、明らかな特定の政治的意図をもったもの、国民のなかで意見が分かれるようなものについて、天皇の出席を求めることは認められるものではありません」と強調し、(1)「主権回復の日」式典の開催の中止を求めるとともに、(2)式典開催の是非で立場が異なったとしても、天皇に式典出席を求める方針は日本国憲法に反する天皇の政治利用であり、この方針を撤回すること――を政府に申し入れました。

 安倍政権は、わが党の批判を無視して式典を強行しましたが、強い批判が起こりました。安倍政権のこの行動は、自らの政治的目的のためには、憲法に反した天皇の政治的利用をためらわない無法ぶり、傲慢(ごうまん)ぶりを示すものとなったと思います。こうした行動を絶対にくりかえさせてはなりません。

天皇の「公的行為」――憲法からの逸脱、問題点はないかを、きちんと吟味を

 小木曽 天皇の「公的行為」についてさまざまな議論があります。

 志位 この式典への天皇の出席も、天皇の「公的行為」として行われたものです。天皇の「公的行為」として行われているもの一つひとつについて、不当な政治利用はないか、憲法の条項からの逸脱はないか、さらに憲法の精神にてらして問題点はないかなどを、きちんと吟味することが必要だと思います。

 小木曽 天皇の制度の政治利用という点では、いま安倍首相が進めている憲法改定への政治利用も重大ですね。

 志位 その通りですね。この問題はきわめて重大です。このインタビューの最後にふれたいと思います。

天皇主権」の時代の儀式をそのまま踏襲するという時代錯誤をあらためる

 小木曽 「憲法の条項と精神からの逸脱を是正」するという点ではどういう問題があるでしょうか。

 志位 いろいろな問題がありますが、まずあげたいのは、大日本帝国憲法時代につくられた儀式をそのまま踏襲するという時代錯誤の事態を是正することです。

 たとえば国会の開会式についていうと、戦前の大日本帝国憲法下では、「主権在君」の原則のもと、議会は天皇の「協賛機関」にすぎませんでした。当時行われていた「開院式」は、統治権の総攬(そうらん)者とされ、立法権を握る天皇から、勅命によって「議会に活動能力が与えられる」儀式でした。国民主権日本国憲法のもとで、国権の最高機関とされている国会の開会式が、戦前の「開院式」の形式をそのまま踏襲するものとなっていることは、大きな問題です。

 小木曽 2016年1月の国会から、日本共産党国会議員団は開会式に出席するようになりました。

 志位 以前の開会式では、天皇の発言のなかに、米国政府や自民党政府の内外政策を賛美・肯定するなど、国政に関する政治的発言が含まれており、わが党はそれを批判してきました。その後、開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は、儀礼的・形式的なものとなっています。天皇の発言の内容には憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的・形式的な発言が慣例として定着したと判断し、開会式に出席することにしました。

 一方で、開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、現在にいたるもなんら改善されておらず、引き続き抜本的改革を求めていくことには変わりはありません。私自身、実際に開会式に出席してみて、天皇のために、特別に高い席が設けられ、そこで「お言葉を賜る」という形式というのは、現憲法主権在民の原則と精神にふさわしいものではないということを、肌身を通じて実感しました。

 小木曽 儀式という点では、この間行われている「代替わり」の儀式も、憲法に反する大きな問題があります。

 志位 政府は、新天皇の即位にあたって、1989年から90年にかけて行われた「平成の代替わり」の儀式を踏襲するとして、一連の儀式を行っています。わが党は、2018年3月、政府に対して「天皇の『代替わり』にともなう儀式に関する申し入れ」を行いました。政府の進める儀式が、戦前の絶対主義的天皇制のもとでつくられ、現行憲法のもとで廃止・失効した旧皇室典範と登極令をそのまま踏襲したものであって、国民主権政教分離という憲法の原則に反することを具体的に批判し、現行憲法の精神に即して全体として見直すことを強く求めました。政府は、わが党の「申し入れ」を真剣に検討しようとせず、憲法の原則に反する、時代錯誤の儀式を強行しています。事実にそくした冷静な批判と抜本的是正を求めるとりくみが引き続き重要です。

 小木曽 国会の開会式にせよ、「代替わり」の儀式にせよ、戦後、天皇主権から国民主権への大転換が起こった時点で、抜本的見直しが必要でした。

 志位 そのとおりです。政府は、それをしないまま、「伝統的なやり方」などと説明しているわけですが、「伝統」といっても明治期以降のものであり、それが日本国憲法の原則と食い違ったら、憲法の原則にそくしてあらためるべきなのです。

国会での「賀詞」決議について――二つの原則を堅持して対応してきた

 小木曽 新天皇の即位に対する国会での「賀詞」に日本共産党議員団が賛成したことが話題になりました。

 志位 先ほどお話ししたように、改定綱領では、天皇条項をふくめて現行憲法の「全条項をまもる」という態度をとることを明らかにしています。そうした立場をふまえ、日本共産党は、この種の問題について、次の二つの原則を堅持して対応を行ってきました。

 第一は、天皇の制度は、憲法上の制度であり、即位や慶事、弔事などのさいには儀礼的な敬意をもって対応するということです。私自身、現天皇夫妻に長女が誕生したときには祝意をのべましたし、現天皇の即位にあたっても祝意を表明しました。党の綱領で、天皇条項もふくめて現行憲法の「全条項をまもる」という態度を表明している以上、憲法上の制度である天皇の制度に対して、儀礼的な敬意を払うのは当然だと考えています。

 第二は、同時に、憲法国民主権の原則にてらして、天皇および天皇の制度を過度に賛美したり、国民に賛美を強制することには反対してきました。すでにのべたように、日本国憲法は、主権者である国民と、天皇および天皇の制度との関係を、厳格に規定し、後者を主権者・国民の全面的なコントロールのもとにおくものとなっています。この主客を転倒させるような動きには、わが党は賛成しないという態度をつらぬいてきました。

 小木曽 「賀詞」にかかわって、具体的にお話しください。

 志位 わが党議員団は、一連の「賀詞」の一つひとつを、先にのべた二つの原則にそくして厳密に検討し、対応してきました。

 まず、わが党議員団は、2月26日の衆議院本会議での「天皇ご即位30周年」の「賀詞」決議に対しては、「即位○○周年」ということで「賀詞」決議をあげた前例はなく、異例のことであり、全体として天皇を過度に賛美するものとなっているとして賛成せず、欠席の態度をとりました。参議院本会議でも同様の決議に対して、同じ態度をとりました。とくに、決議のなかに「国民ひとしく敬慕の念に堪えない」という文言があり、国会として、「国民ひとしく……」という決議をあげることは、事実上、国民に対して祝意を強制することになります。国民主権の原則から問題であるだけでなく、思想・信条・内心の自由にも触れることになり、わが党として賛成できるものではありません。

 つぎに、5月9日の衆院本会議での新天皇即位の「賀詞」決議については、憲法にてらして問題点を指摘しつつ、賛成するという対応をとりました。その日の記者会見での私の発言を紹介しておきます。

 「天皇の制度というのは憲法上の制度です。この制度に基づいて新しい方が天皇に即位したのですから、祝意を示すことは当然だと考えています。

 ただ、(賀詞の)文言のなかで、『令和の御代』という言葉が使われています。『御代』には『天皇の治世』という意味もありますから、日本国憲法国民主権の原則になじまないという態度を、(賀詞)起草委員会でわが党として表明しました」

 ここでのべているように、わが党議員団は、憲法国民主権の原則にてらして問題点を指摘しつつ、祝意を示すという点で賛成しうるという態度をとりました。この決議案には、「国民ひとしく……」という文言もありませんでしたから。

 つづいて、5月15日の参議院本会議での新天皇即位の「賀詞」決議は、賛成という対応をとりました。参議院では決議案から「令和の御代」という言葉がなくなっていたので、とくに異論を表明する必要もなくなり、賛成という態度をとりました。

 小木曽 なるほど。一つひとつを厳格に吟味して対応しているのですね。

 志位 そうです。とくに重視しているのは、国民主権をはじめ日本国憲法の条項と精神にてらして問題がないかという点です。憲法からの逸脱があれば是正のために力をつくす。この立場で国会での対応を行っているのです。

元号について――どう考え、どう対応するか

元号に対する日本共産党の基本的態度について

 小木曽 元号が「平成」から「令和」に変わりました。元号について、日本共産党はどういう態度をとっているのですか。

 志位 私は、新元号の発表にあたって、4月1日に記者会見で次の談話を発表し、党としての基本的考え方をのべました。

 「一、元号は、もともと中国に由来するもので、『君主が空間だけでなく時間まで支配する』という思想に基づくものである。それは日本国憲法国民主権の原則になじまないものだと考えている。

 一、わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。

 同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。

 一、政府は、これまでも『一般国民にまで(元号の)使用を強制することにはならない』ことを『政府統一見解』として明らかにしている。

 この立場を厳格に守ることを、あらためて求める」

 最初の段落は、元号に対するわが党の「認識」、「立場」をのべたものです。「国民主権の原則になじまない」という、そもそもの「認識」、「立場」を表明しました。つけくわえていえば、一人の天皇で一つの元号という「一世一元」が採用されたのは、「天皇制の伝統」でも何でもなく、明治期以降のことであって、天皇制の専制政治によって国民を支配していく政策の一つとして始まったということも、強調しておきたいと思います。

慣習的使用に反対しないが、使用の強制に反対する

 志位 そのうえで、元号に対する対応の問題ですが、「慣習的使用に反対しないが、使用の強制に反対する」という態度をのべました。

 小木曽 「慣習的使用に反対しない」と。

 志位 そうですね。どんな紀年法をもちいるかは、自由な国民の選択にゆだねられるべきだという立場です。「しんぶん赤旗」でも、慣習的に元号を使用する方などへの便宜をはかるうえで、元号を併記していますね。

 小木曽 この方針は、新元号のもとでも続けています。同時に、「使用の強制」に反対するということですね。

 志位 ここが肝心な点です。実際には、談話で紹介している「政府の統一見解」にも反する強制が、さまざまな形で行われています。

 たとえば戸籍です。1979年6月、元号法の施行にともなって法務省の通達が出されていますが、そこでは「国民に対してその使用を義務付けるものではない」としながら、「西暦による表示を併記した謄・抄本等の交付請求がなされても、これに応じることはできない」と明記されています。これは明らかな元号の強制というほかありません。元号使用の強制、事実上の強制が各所に残されており、是正が必要です。

元号の将来――その解決は、主権者である「国民の総意」にゆだねる

 小木曽 元号の将来についてはどう考えますか。

 志位 この談話を発表した記者会見でも、同じ質問がありました。私は、「いま元号あるいは元号法を廃止すべきという立場には立っていない。将来、国民の総意によって解決されるべきだと考えている」と答えました。

 この問題での態度は、天皇の制度の将来に対する態度と同様のものです。私たちの元号に対する「認識」、「立場」は、「国民主権の原則になじまない」というものです。同時に、その解決は、将来、主権者である「国民の総意」にゆだねるということです。

 ただし、天皇の制度は憲法上の制度ですが、元号は法律上の制度です。法律を変えればこの制度を廃止、あるいは変更することは可能です。元号に対する国民の意識からみても、その解決の時期は、天皇の制度の問題が解決される時期よりも、ずっと早い時期になると考えていいのではないでしょうか。

元号が変われば世の中が変わるか――社会を変えるのは主権者である国民のたたかい

 小木曽 ところで、元号で「時代」を論じるということがさかんです。「令和」の時代でがらりと世の中が変わるといった議論も氾濫しています。